三条表面処理センター

竣工式理事長挨拶


 本日は、新潟県知事殿をはじめ来賓各位からのご臨席をいただき、ここに三条表面処理センターの竣工式を挙行することができましたことは、偏にご臨席の皆様のご尽力の賜と、有難く厚くお礼を申し上げる次第であります。
 申し上げるまでも無く、企業活動の拡大と発展を遂げるために課せられた公害防止という企業努力は、決して避けて通ることが出来ない社会的要請であります。
 殊に、電気メッキ加工を業とする零細規模の工場にとりましては、企業の存続さえも検討しなければならないきわめてきびしい命題として、かねてから業界挙げて検討されて参った処であります。
 私共、三条表面処理センターの組合員6社が、この公害防止と企業の存続という命題に真正面から取組んだのは、過ぐる昭和45年10月、三条メッキ工業会によるメッキ工場の団地化事業が計画された時からであります。
 以来、柳川・柳場地区を中心とする候補地の用地折衝に奔走しながら二転三転し、結果的にはメッキ団地に対する理解を得られることなく、計画実現を見送らざるを得ないことと相成り、電気メッキ企業の将来に暗い影をみる思いでありました。
 然し乍ら、それまでお世話をいただいた三条市のご配慮もあって、現在地の用地取得が進み、団地づくりを発起してから5年の歳月を要して、漸く団地建設計画の提出までに至ったのでありますが、やはり関係地域住民のメッキ廃液処理に関するご理解とご協力をいただくために、その後更に1年余の時日を要したところであります。
 その間、私共に寄せられた関係地域住民皆様の暖かいご理解とご叱声に助けられながら、やゝもすれば瓦解するような気持ちを取り直しては、私共の誠意と最新設備を誇る「公害防止装置」による無公害化を訴えて参りましたが、一方では三条市議会における建設促進請願が採択されるほか、農業用水障害対策事業費が市費県費をもって計上されるなど、メッキ団地建設実現のため払われたご配慮と、関係者のご努力には並々ならぬものがあり、筆舌には尽くしがたいものがあります。
 お陰さまを持ちまして、このような全市的合意を賜りました私共の団地化計画は、槌音高く、昭和50年11月10日着工し、本日厳粛にかつ華やかな祝意に囲まれて竣工式を迎えさせていただいている処であります。
 思えば、今日まで、長い道のりではありましたが、今日から明日へと開かれた協同組合三条表面処理センターは、皆様から寄せられているご期待に充分応え、名実ともに日本一のモデルメッキセンターとして成長できることをこゝにお約束するため、センター「三原則」を披露いたしたいと存じます。
 第一に、センターは、公害防止はもとより自然環境の保全と保護に努めます。
 第二に、センターは、地域住民と地元社会の意向を尊重し、地域福祉の向上に努めます。
 第三に、センターは、指導機関と協力して快適な生活環境を創造します。

 以上の「三原則」は新しい地域社会に融け合うための必要最小限度の心構えであると考えると同時に、将来共遵守しなければならないことがらである。と存じておりますので、今後とも一層のご支援とご愛顧を心からお願い申し上げ、ここに団地建設の一端を述べさせていただきまして、私のご挨拶に代えさせていただきます。
 本当に有りがとうございました。

昭和51年10月9日
(協)三条表面処理センター
 代表理事 帰山忠家


創立40周年記念式典理事長挨拶


 本日は、協同組合三条表面処理センター、創立40周年記念式典へ、ご多忙の所、多数の皆様にご出席賜りまして誠にありがたく厚くお礼申し上げます。
 協同組合三条表面処理センターは組合員6社によるメッキ団地としてスタート以来、厳しい経済の中においても、皆様の温かいご支援やご協力により、お陰様で創立40周年を迎えることができました。本当にありがとうございます。
 三条表面処理センターは、三条に14ある工業団地のうちの一つで『めっき団地』の通称で呼ばれております。
 『めっき団地』にはセンター三原則というものがございます。
 【第1】センターは、公害防止はもとより自然環境の保全と保護に努めます。
 【第2】センターは、地域住民と地元社会の意向を尊重し、地域福祉の向上に努めます。
 【第3】センターは、指導機関と協力して快適な生活環境を創造します。
 このセンター三原則は、帰山初代理事長が40年前、竣工式の挨拶で披露されたもので、この三原則を基本理念として40年間運営してまいりました。そしてそれは今も、今後も変わることはございません。
 センターは、現在3社で運営されております。
 6社で出発しましたが、2社が合併したことにより5社になり、約25年前にさらなる発展のため2社が大島工業団地に移転しました。
 このような事もあり、年次ごとの記念事業が今日までできなかったことも事実です。
 昨今の経済・社会情勢を見ておりますと、過去を振り返ってみる事も必要かと考え、創立40年の節目に今回の事業を計画いたしました。
 本日、協同組合 三条表面処理センターの創立40周年記念式典にあたり、40年前の創立時点からさらに遡り『発起からセンター建設』までの経過について、竣工式での帰山理事長挨拶の文を借りながら振り返り、今日から明日へと前に進んでまいりたいと思います。
 昭和40年代、日本経済の高度成長とともに、全国的に公害問題が顕在化してまいりました。
 その頃の三条では、地場産業の発展と歩調を合わせ、めっき業界でも手作業から機械化・自動化へと近代化をすすめ始めておりましたが、そのほとんどが小規模企業で、かつ住宅密集地域に立地しており、公害防止施設の抜本的な改善もできず、公害問題を巡る住民と企業の対立が市内各所にみられ、めっき加工業の存立そのもの、さらには地場産業発展の阻害要因にもなりかねない状況でございました。
 三条表面処理センターの組合員6社が、この公害防止と企業の存続という命題に真正面から取り組んだのは、過ぐる昭和45年10月、三条メッキ工業会による『めっき工場の団地化事業』が計画された時からであります。
 以来、柳川・柳場地区を中心とする候補地の用地折衝に奔走しながら二転三転し、結果的にはめっき団地に対する理解を得られることなく、計画実現を見送らざるを得ないことと相成り、電気めっき企業の将来に暗い影をみる思いでありました。
 然し乍ら、それまでお世話をいただいた三条市のご配慮もあって、現在地の用地取得が進み、団地づくりを発起してから4年の歳月を要してようやく団地建設計画の提出までに至ったのでありますが、やはり関係地域住民のめっき排水処理に関するご理解とご協力をいただくために、その後更に1年余の時日を要したところでありました。
 センター建設の請願にあたりましては、三条商工会議所、三条工業会、新潟県鍍金工業組合 各位の力強いバックアップをいただきました。
 一方で、市議会への請願が採択されて、農業用水障害対策事業費が市費、県費をもって計上されるなど、めっき団地建設実現のために払われたご配慮と、関係者のご努力には並々ならぬものがありました。
 その結果、地元と三条市と協同組合三条表面処理センターの三者による公害防止協定を締結することで、関係地域住民のご理解とご協力をいただくことができ、現在のセンターが完成したわけでございます。
 あれから40年が経過しましたが、創立40周年の節目の年に、センター三原則の原点まで遡り、先人のご功績にいささかなりとも触れることができましたことに感慨深いものを感じます。
 センター建設までの数々の困難につきましては、帰山初代理事長が竣工式のご挨拶でおっしゃっていましたが、多くの関係者のご努力によって今日のセンターがあるのだと再認識いたしました。
 公害問題に対する倫理観、地場産業に対する使命感、それを支えていただいた三条市、三条商工会議所、三条工業会をはじめ関係各位のご努力に敬意を表しますとともに、改めて感謝申し上げます。
 また、最後になりましたが、本日体調不良のため欠席されております帰山初代理事長が、このたび「産業功労者表彰」を受章されることとなりました。私共組合員一同にとりましても、この上ない喜びでございます。
 誠におめでとうございます。
 以上、協同組合 三条表面処理センターの創立40周年記念式典にあたりまして、その生い立ちと団地建設の一端を述べさせていただきましたが、今後も組合員一同、いっそうの努力を致しますので、  皆様の変わらぬご支援やご協力をいただきますようお願い申し上げまして、誠に簡単ではございますが、式典のご挨拶とさせていただきます。
 本日は誠にありがとうございます。

平成27年10月21日
(協)三条表面処理センター
 理事長  倉橋幸弥